こだわらない練習

はじめに

こだわれば,肩に力が入り,緊張する.

こだわらなければ,無駄な力が抜けて,自然体の自分に戻る.

こだわれば,そのこだわりに合わない「人」も「物」も「現象」も,すべてが"敵"になる.敵に出会うたびに,ストレスが生じる.

こだわらなければ,世界から"敵"がいなくなる.心が,まろやかに安らいでいる.

こだわれば,執着に縛られて好みも思考もパターン化し,新しい可能性を閉ざす.

こだわらなければ,縛られずにいる軽やかな自由とともに,新たな変化に向けて心を開いていられる.

  • 「こだわり」に反する現象に触れると,身体に不快感を感じ,その「不快」に支配されて,否定的な考えや批判の言動が生じる.

あいにく,この世界の現象の(おそらく)90%くらいは,私たちのこだわりに反する事柄でできているのです.

かくして,こだわりが強ければ強いほど,周囲の人々や,世界の出来事に接するたびに"不快"な身体感覚を味わう回数と強度が,パワーアップしてしまうのです.

  • 実はいかなる執着(こだわり)も,以前に"快楽"を感じて気持ち良かったことを記憶したうえで,その"快"を反復したいという欲望にもとづいて,生まれているに過ぎない.
  • こだわりとは"快"を求めすぎて"快"を感じる回路を限定してしまうため,それ以外のものを"不快"として受けとめるようになり,むしろ"不快"の源泉になる.


第1章

嬉しかったことにこだわらない

  • 過去の嬉しさ(過去の栄光)の残像に洗脳されていると,目の前にある等身大のありふれた幸せを味わうことが叶わず,かえって自己破壊へと辿り着くこともある.
  • 何らかの嬉しさが生じたときは,いかにその嬉しさをそのとき,その瞬間だけの,"一期一会のもの"として味わうことが大切で,味わったら忘れてしまうくらいの勢いで,決して心に染み込ませないことが大事.
  • "すべての心のエネルギー"は無常,つまり,"一定せず次々に移り変わってゆくもの"である.
    • それを念頭に,たとえどんな嬉しさの波が心にやってきても「ああ,これもまた流れ去る,諸行無常」とでも心につぶやきながら受け流してやる.

ありがとうにこだわらない

  • 「自分が好きで勝手にやったことだから,相手に響かなくてもいいや」と,自己完結しておくのが,精神衛生上もいい.
    • 自分が親切にしたいのか,したくないのか,というシンプルな物差しで行動し,してあげたいからするだけ,したくないからしないだけ,という自己完結をしておく.
  • 「ありがとう」は,相手に期待すると自分は苦しくなり,相手をがっかりさせるだけ.

他人の期待にこだわらない

  • 関係がまだ浅いうちから,なるべく自分の性格や実像を良く見せようとしすぎないように,小出しにカミングアウトしておくのが,後々のため.


第2章

所属にこだわらない

  • 今の世では,所属に頼らず自力で新しい道を切り拓いてゆける「何かを生み出す力のある人」が高く評価される.
  • 皮肉なのは,所属を強調することがすこぶる格好悪いことになってきているのに逆行するように,「日本国に所属している」ことを強調するのが,格好いいことのようになりつつあること.
  • 企業への所属,出身校への所属,国家への所属というものにいつのまにか執着して視野を狭くしてしまっているなら...,それに気づいて,所属の壁を取り払い,広い世界,宇宙へと心の扉を開ききってみることが大切.

「自分の会社は立派なんだ」「私の会社は素敵すぎる」「俺の職場はオシャレなんだ」といった自尊心によって,

会社への忠誠度が高くなりすぎますと,それこそ「それは広告代理店的じゃないよ」とか「それはテレビマン的じゃないよ」などというのに近いような,

おかしな発言をしてしまう人だって,世の中にはいるに違いありません.

  • 仕事への執着が強くなりすぎることで余裕が持てなくなり,かえって仕事が捗らなくなり,往々にして,働きすぎてしまう.
    • 自分の存在価値を仕事にばかり置いていると,遊んだりゆっくりしたりすることでは自分の存在価値が生まれないため不安になる.
    • 「疲れている」=「仕事を忙しくしている」=「それだけ,所属している場で大活躍している」=「自分に価値がある」と,思いこまされているからに違いありません.
  • そのグループに入っていても,そのグループに感情移入しない=こだわらない,という自由を勧めている.

平等にこだわらない

  • 他者と自分を比べての嫉妬は,「本来なら人は平等であるべきである」という,平等観念へのこだわりが元凶になっている.
    • 「不平等だ,許せない」という不平不満を持つ場合は,十中八九,自分が不利な立場に立っている側の者であったことを思い出せるでしょう.
    • 「不平等だ」と言って起こるのはいつだって負けている側であって,負けた者の逆恨み的性質があるということ.
  • 自分が上がるのではなくて,他人を引き下げようとする,妬み心からは,美しいものは生まれない.

ルールにこだわらない

  • 私たちが何らかのルールに従うようになる最初の動機は,その大部分が,他人から避難されずに受け入れられたい,承認してもらいたい,評価してもらいたい,という自己保身,自己保存の欲求に基づいている.
    • ルールを守ること(ならびに,他人にルールを守らせること)に執着しすぎるようになる理由は,きっちりとするという行為が,自分のことを価値ある存在として実感するための有力なツールになってしまっているから.
    • きっちりとすること,ちゃんとすることを通じて,他者にとって自分が承認される(=魅力ある→価値ある)存在である,ということを実感でき,ようやく自信が保てるようになるといった具合.
    • つまり「自分の価値」について不安で自信がないゆえに,人はルールに過剰適応することで表面上の安定をつくろうとしてしまう.
  • ルール違反に苛立つことがまず心身にダメージを与えるうえに,どんなに苛立っても,たいてい相手は振る舞いを変えませんから,毎回毎回,苛立ちもダメージもつのる.


第3章

「快」「不快」にこだわらない

  • 安らぎに至るには,無常を悟ることが鍵になる.
    • 「快」などアテにはならない,頼りにならない,よりどころにならない.
    • 「快」が生じるたびに,それが続いてはくれずに私たちを裏切るありさまを,毎回毎回観察し,気づきを向けてみる.
    • 大きな仕事を終えて達成感の「快」が生じても,「無常」と念じる.
    • 実生活で,自分の心における「快」「不快」の変化をじっくり読むことを通じてこそ,「ああ,こういうのは結局はアテにならないし,執着するほどの価値はないのだなあ」という,智慧が育つ.

アイデンティティにこだわらない

  • 「〇〇な自分」という自我のパーツを増やすことによって私たちの心は,かえって窮屈になり,ガチガチに固められてしまう側面がある.
    • 「自分はこんな人間なのだッ」というこだわりを離れ,何者でもなくなることの中に,心地よさがある.

なるほどイヤなことを忘れたいから出る旅もあるでしょう.

しかし私はむしろ「好きでたまらず執着していること」を忘れるためにこそ,旅に出ることを提案します.

それらに依存しすぎてそれらに振り回され一喜一憂していた状態から離れて,いったん「もしもそれがなくても大丈夫」という強さを心に宿すことでこそ,もっと広くて新鮮な視線で,取り組み直すことができるものです.

  • 旅に出ていない平素日常の生活で,「自分は"〇〇な自分"にこだわってるんだなあ」と気づいてやること.
    • 仕事ぶりを褒められて嬉しくなっていたら「"デキる自分にこだわってる」と気づく.
    • 自分が本当の本当は手ぶらでしかあり得ないことを忘れて,うっかり"デキる"などの属性を所有したような錯覚に陥るつど,「そういえばこの所有感は幻覚で,本来は無一物なのだったよね」と思い起こしたいものです.

自分を消すことにこだわらない

  • 何かを「大切だ」と思いすぎると,いつのまにやらそれが強固なこだわりとなるという副作用を生じるもの.
  • 私たちは「このことが,自分にとって大事」と執着する度合いの強いものを通じて自我イメージを保とうとする傾向がある.
    • 仕事や人間関係や大好きな趣味など,重要度の高いものごとの出来・不出来によって,「優れている」「劣っている」を決めてしまう.

人は「これは素晴らしいッ」と感動したものは,「周りの人もやればいいのに」と思いがちなものですから,うっかり周囲の人々に教えようとしたり,押しつけようとしてしまう傾向がある.

しかし,その一見すると善意に見える行為の裏には,「立派なことを実践する立派な自分」を,相手にもコピーして植えつけようとする慢心が隠れているのです.

それゆえ,コピーされまいと抵抗する相手とぶつかって,トラブルが生じるのです.

あるいは,仕事を通じて「優れている」を感じたいと欲求しているのが強くなりすぎると,仕事の出来・不出来に一喜一憂しすぎることとなり,それはコンスタントに安定感をもって仕事を続けてゆくことの妨げとなります.

「優れた自分でいたい」という欲が増せば増すほど,自分に求める水準が高くなり,それに満たされないと,うんざりして苦しくなり,「もうやめたい」という気分に襲われたりするもの.

「〜すべき」にこだわらない

  • 「〜しなきゃいけない」という義務感が出現することによって,私たちは止めたいはずのことも,嫌々ながらに実行するということがよくある.
    • 本音を押し殺して渋々それをすることによって,「本当はそうじゃないのにッ!」という欲求不満を鬱積させて,自分が苦しむうえに他人に本心を伝えられないという孤立感までついてくる.
    • 実際は,承認されなくなることを恐れ,承認を求めるがゆえにこそ,「やりたくないなあ...」と思いつつも実行してしまう.
    • 人から認められることに対する欲望のほうが,自由に振る舞う欲望より勝っているからこうなる.
    • 正直に「他者から否定されたくない欲望」と「好きに振る舞いたい欲望」を天秤にかけ直してみて,どちらかより良いと思えるほうを,自覚的に選ぶ.
  • 自分にとって「絶対〇〇しなくちゃいけない」と信じこまれているものを,よくよく分析してみる.
    • すると,立派な責任感に思えていたもの,それゆえ抵抗の余地もなかったものが,元をただせば単に,他者から否定されることへの恐れに過ぎないと理解できる.


おわりに

  • まずは「自分が何にこだわっているのか?」に気づきを向けてみることが,第一歩となる.


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