知的生産の技術
はじめに
- 「芸ごとのコツというものは,師匠からおしえてもらうものではない.ぬすむものだ」
- おしえる側よりもならう側に,それだけの積極的意欲がなくては,なにごとも上達するものではない.
- 学問は自分がするものであって,だれかにおしえてもらうものではない.
- この本で,わたしがかこうとしていることは,要するに,いかによみ,いかにかき,いかにかんがえるか,というようなことである.
- 現象を観察し記録するにはどうするのがいいか,あるいは,自分の発想を定着させ展開するにはどういう方法があるか,こういうことを,学校ではなかなかおしえてくれないのである.
- もっとも一般的な,研究者ならだれでも身につけていなければならないような,共通の基礎技術みたいなものについては,かえってだれも関心をはらわないのである.
- なぜこういうことが議論の対象にならないのかというと,おそらくは,それがあんまり日常的で,あたりまえのことだからだろう.
- 知的生産というのは,頭をはたらかせて,なにかあたらしいことがら──情報──を,ひとにわかるかたちで提出すること.
- 知的生産とは,知的情報の生産である.
- 既存の,あるいは新規の,さまざまな情報をもとにして,それに,それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて,そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである.
- そこには,多少ともつねにあらたなる創造の要素がある.知的生産とは,かんがえることによる生産である.
- 知的生産とは,知的情報の生産である.
知的生産の技術について,いちばんかんじんな点はなにかといえば,おそらくは,それについて,いろいろとかんがえてみること,そして,それを実行してみることだろう.
たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである.
1|発見の手帳
- わたしたちが「手帳」にかいたのは「発見」である.
- まいにちの経験のなかで,なにかの意味で,これはおもしろいとおもった現象を記述するのである.あるいは,自分の着想を記録するのである.
- それも,みじかい単語やフレーズをかいておくというのではなく,ちゃんとした文章でかくのである.
- 「発見の手帳」をたゆまずつづけたことは,観察を正確にし,思考を精密にするうえに,ひじょうによい訓練法であったと,わたしはおもっている.
2|ノートからカードへ
- ノートの欠点は,ページが固定されていて,かいた内容の順序が変更できない,ということである.
- ノートは,内容の保存には適していても,整理には不適当である.
3|カードとそのつかいかた
- カードについてよくある誤解は,カードは記憶のための道具だ,というかんがえである.
- カードにかくのは,そのことをわすれるためである.わすれてもかまわないように,カードにかくのである.
- 「記憶するかわりに記録する」
- カードは,他人がよんでもわかるように,しっかりと,完全な文章でかくのである.
- カードの操作のなかで,いちばん重要なことは,くみかえ操作である.
- カードは,蓄積の装置というよりはむしろ,創造の装置なのだ.
- これはいわば,目にみえない脳細胞のはたらきを,カードというかたちで,外部にとりだしてながめるみたいなものである.
- あるいは,そうして外部で目にみえる形で操作することによって,内部の作業の進行をたすけようというのである.
- くりかえし強調するが,カードは分類することが重要なのではない.くりかえしくることがたいせつなのだ.
- いくつかをとりだして,いろいろなくみあわせをつくる.
- 知的生産の技術としてのカード・システムは,さまざまな場面で,さまざまな方法で,つかうことができる.
- 研究の過程も,結果も,着想も,計画も,読書の記録も,全部おなじ型のカードでいける.
- カード法は,歴史を現在化する技術であり,時間を物質化する方法である.
- 道具をつかいこなすためには,その道具の構造や性能をよくわきまえて,ちょうど適合する場面でそれをつかわなければならない.
- 道具というものは,つかいかたに習熟しなければ効果がない.