考えすぎない生き方
- 作者:藤田一照
- 発売日: 2018/10/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
はじめに
The less we do, the deeper we see.
「やることが少なければ少ないほど,より深いものが見えてくる.」
- 「やることをより少なく」ということが大切.
- これこそが「私」だと固く握りしめているものを,ほどく.
- 「次はあれをやらなきゃ,これをしなきゃ」とあくせく生きることから降りる.
- 「正しい」「間違っている」とか,「良い」「悪い」といった基準で比較しない.
- 取り戻せないか過去を悔やまず,わからない未来のことを案じない.
- 「こうあったらいいな」という理想に,執着しない.
いろいろな苦悩がわーっと自分のほうに寄り集まってきて,
混乱したままもがいている「現実」を,きちんと「観る」稽古をしていく中で,
幸せも苦しみも,どちらも「丁寧」に受けとる力を育てていこう,
というのがこの本のねらいです.
どんなことが起きても,逃げずに,そこで全力を尽くそうとする.
思いがけない贈り物として,その都度,学んで成長していこうとする.
そういうおおらかな,開いたハートで生きる「新しい人生態度」をインストールしてみよう,
という提案です.
第一章|執着をはなつ
──人生の正体が明らかになれば,心は落ち着く
- 「こうあってほしいという自分の都合に合わない事実は,自己防衛のために認めようとしない」.これを否認(denial)という.
- 私たちがこれから始めようとしているのは,否認から,その対極にある需要の方向に向かうこと.
- 苦悩は,苦悩の縁起(数限りない条件が寄せ集められて,刻々にかたちづくられているもの)を知らない心が縁となって起きている.その縁起を悟れば苦悩が解消して,それから解放される.
- にもかかわらず,私たちはその方向に努力するのではなく,その反対方向のことを一生懸命にやっている.
- だから,苦悩から逃れようとしているその行為自体によって,逆に自分が苦悩に脅かされていないかどうか.そういうまなざしで普段の自分を一度見直してみることが重要.
苦悩に背を向けるのではなく,いったん止まって落ち着いて,それをよく観てみれば,
苦悩が本当は実体として初めから存在していなかった,実は自分が作り出していただという,
思ってもみなかった自覚が生まれます.
苦悩の源は向こう側にあるんじゃなくて,こっち,自分の側にある. 外からやってくるのではなく,むしろ私が苦悩を生み出している張本人だった.
この自覚だけが,いかなる苦悩であっても,それを完全に解消するのです.
- 人生には常に不確定要素がつきまとうから思い通りにならない,という道理をちゃんと自覚して,問題をなくすのではなく上手に制御すること.
- 「わからないことをわからないままにしておく能力」が必要
- 私たちに絶対的に必要なのは,何が起きてもそれらすべてを自分のワークとして,誠実に取り組んでいこう,と主体的に決めてしまうこと.
- すべてをワークとして取り組んでいくためには,今目の前にあるものを選り好みせずに迎え入れる,しっかり受けとって生かしていくことが必要.
- エゴの都合に基づく取捨選択をやめて,自分と世界の現在を,純粋に,繊細に受信する.
第二章|自分をひらく
──思考の99%を支配する自我から抜ける
- 境界をもつ閉じた存在として自分を意識する.こういう内へと閉じたあり方が,「自我」と呼ばれるもの.
- 自分が味わっているあれやこれやの苦しみや悩みの本当の原因は,社会のせいだとか,あの人,この出来事,不運などのせいではなく,「決定的に重要な何か」,つまり自己の認識が間違っているところに由来している.
- 私たちは本能的に,自分に都合の良いものは手に入れ,都合の悪いものは排除しようとする根深い性向をもっている.その中心にあるのが自我.
妄心とは,浮沈を繰り返す,水面上の波のなものです.
私たちはこの波の形に注目して,それが高いとか低いとか,大きいとか小さいとか,強いとか弱いとか,美しいとか醜いとか,評価をつけているのです.
それに対して真心は,たとえどんなに波が荒れ狂おうとも,常に変わらず,そのままである水のようなものです.
水にとっては,高いとか低いとか,大きいとか小さいとか,強いとか弱いとか,美しいとか醜いとか,そんなことは意味をなさないのです.
- 心は波であると同時に水であるのに,ほとんどの人にはこの波立ちの姿しか見えておらず,その本質が水であるということがわかっていない.
- 水がさまざまな条件で刻々に変化している波という状態こそが自分の心だと見誤って,その心に惑わされ,一喜一憂し,混乱している.
- 私たちがすべきことは,自分を深く見つめて,波という形あるものの世界の直下に,水という形のない世界があるという真実に触れること.
- どんな思考や感情がさざ波として沸き起こってこようとも,それに気づき,観察することによって,心が鎮まり調えられ,比較による悩みがおのずから消える.
- 葛藤や対立の原因のほとんどは,「〇〇であるべき」「〇〇であるべからず」という「決めつけ,ジャッジメント」にあるといえる.
- 自分で勝手に設定している「縛り」が強すぎると,「こうあるべきなのに,そうではない」という,自分の期待値と現実が噛み合わず,ストレスを引き起こしてしまう.
「あれはこうあるべきだ」「これはああするべきでない」を考えの基準にして生きてしまうと,
「どうすれば”いい”のか「どうすることが”正しい”のか」と,
何事に対しても「○✕」でしか考えられないばかりでなく,
自分に課しているルールを他人にも課してしまいがちです.他人を裁いてしまうんですね.
逆に他人に当てはめている評価枠で,自分も裁いてしまいます.
- 「本当はそうではないのかもしれない」と自分の土台を疑ってみる.自分が前提としているものを相対化するというのが,大事.
- 「してはいけない」が「してもいい」へ.
- 「しなければいけない」が「しなくてもいい」へ.
- この開き直りが肩の力を抜き,周囲との関係をラクなものに変えていく.
世界はそういうふうになっているんだから,自分の行為によって相手がどう思おうと,それは仕方がないんです.
関係が良くなるかもしれないし,変わらないかもしれない.もしかしたら悪くなるかもしれない.
それは,ただ起こるがままにしておくしかないんです.
だから,何が起こるのかということに対してオープンでいること.評価することから離れることです.
- 自分勝手な期待をしていないから,裏切られるとか落胆するということもない.ただそういうことが起こったんだなと受けとめる.
- 自分の外側にあるものに寄りかかって「つくる」のではなく,自分で「いる」こと,それを「自信」と言う.
- 自分という存在が絶対無比であることを疑わず,そこに安心して落ち着き,くつろいでいること.
- 自分の中には,自分ですらわかっていない素晴らしい自分,「輝き」が,無尽蔵にあるという事実に気づくこと.
- 今,ここにすでに豊かにある「輝き」を観ないで,今の自分に満ち足りることができず,走るその先にあると想定される未だない自分を求めることのほうが価値がある,というのが世間の言い分.
第三章|ひと呼吸おく
──マインドフルでいられる心になるために
- マインドフルネス:
- 「今ここで,自分の内側や外側で起きていることに価値判断を入れず,ありのままの姿に注意を向けて,それ気づいている」状態.
- 自分の内や外で起きている出来事にしっかり向き合うこと.
- その向かい合おうとする態度,向かい合えている状態になるためのトレーニング.
- マインドフルネスは,言わば,内的な経験を観察するためにある解像度の高い観測装置だといえる.
- それは,本当の問題は自分の外側にあるのではなく,この私自身がそもそもの問題だ,という洞察.
- 空間的解像度を高めることで,たとえば苦しみという経験が痛みだけではなく,それに対する抵抗という,もう一つのファクターから成り立っていることが見えてくる.
- 痛みだけでは苦しみにはならない.それに抵抗しようとするほど掛け算的に苦しみが増してしまう.
- この区別がつけば痛みは受けいれ,抵抗は下げるという,それぞれに適切な対応が可能になる.
- 幸せも,快感だけではなく,執着というファクターが加わっている.
- 執着や抵抗は当人の反応パターンで,上げたり下げたりしている私の責任であるから,やり方を学ぶことによって変えていくことができるもの.
- 抵抗を下げるとか執着を減らすというのは,一言でいえば,痛みや快感をなるべくそのまま受けとるということ.
もしかしたら事態の変化を一番妨げているのが変えようとする自分の努力かもしれないという可能性は,念頭に置いておくべきです.
- 心でなんとかしようとするのは,火に油を注ぐようなものだから,体からアプローチするほうがいい.
- 今までの自分だったら絶対にやらなかったことをやってみたときに,人は変わっていく.
成果とか,効率的なことは考えずに,何はともあれ,理屈抜きに,とりあえず一服する.
惰性で心が動いているのをいったん止める.生活に区切りを入れ,そこからまた始める.
そういう生活の"節作り"を習慣づけることが大事です.
- ストレスをマネージ(管理)しようとはしない.疲れたら休むだけ.
- 過去のことも,未来のことも,考えているのは,「今」.
- 過去,未来っていうのは考えの中にしかなくて,それは今考えていること.
- しばしば,「今,考えている」ということを忘れて,あたかもそれがあるかのように影響を受けてしまう.
- 精進は一時的なものではなく持続的なものであることが大事.
- 自分は何のために努力しているのか,努力の根っこにあるものをよくよく見直して見る必要がある.
- 精進というのは,むやみやたらな努力ではなく,自分の努力を精妙に「調律」することが不可欠.
- 怠惰すぎても,また熱心すぎてもいけない.休むべきときにはきちんと休むこと.それも精進.
- たとえば,病気のときはそれを押してがんばるのが精進ではなく,ちゃんと病人らしく養生するのが精進.
第四章|いきなり坐らない
──坐禅する手前のオリエンテーション
- どうやら,坐禅をしようという意図や努力から私たちを引き離し,意気をくじく負の働きが私たちの身心の中に存在している.これは,坐禅をするうえで避けては通れない問題.
- 坐禅においては何が起ころうと,それはそのときそのときの坐禅の一風景として気づきつつ,あくまで平静に眺めていればいい.
- 坐禅中に浮かんでくる思念に対して,古来「追うな,払うな」というアドバイスがなされてきたのも,それを相手にして何かしようと企てたとたんに逆に囚われ,それに足をすくわれてしまうことになるから.
おわりに
苦悩に背を向けて逃げ出そうとするのではなく,自分の抱えているいろいろな問題は,自己の正体を見失っているところから派生しているのではないかと,苦悩のありのままの姿を細やかに吟味する.
すると,自分ではコントロールできないこと,あるいはそもそもコントロールする必要のないことを,無理やりにコントロールしようとしている自分に気づきます.
そこから,苦悩のカラクリについての洞察が生まれてきます.
苦悩から逃げるのではなく,それに向き合い,理解することでそれを乗り越えていくのです.