上機嫌の作法

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

上機嫌の作法 (角川oneテーマ21)

第一章|なぜ私は上機嫌なのか

機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態です。気分的なものに左右され、自分の意思では制御できないもののように思われている節があります。しかし、人間が社会的動物として生きている以上、ただ気分のなすがままにしていたのではダメなのです。不機嫌さは、自分に殻を作ります。人に対してオープンでなければ、対人関係はうまくいかない。自分の属する社会、たとえば会社、学校、家庭……人と人で成り立っているあらゆる場において、互いの関係をよりスムーズな心地よいものにしていくためには、各々が気分をコントロールする努力が必要です。

つまり、円滑なコミュニケーションのための手段として、「上機嫌」な状態を自分の「技」にすることを提唱したいのです。これは天然の上機嫌とは違います。意識して身につけ、いつでも自在に上機嫌モードに入れるようにする技。だから「上機嫌力」なのです。


では、転機は何だったのか。教育者の立場として人前に立つからには、相手にこちらの言うことを聞く気にさせなければならない、そのためには常に上機嫌であることが肝要だと考えたのです。そして、気分の波を制御し、いつでも上機嫌モードで人と接することを自分に習慣づけるようになったのです。ですから、私は意図的に「上機嫌をやっている」のです。癖づけたのです。

  • 上機嫌力をつける前段階として、対人関係で大事な四つの身体的基本原則:
    1. 目を見る
    2. 微笑む
    3. 頷く
    4. 相槌を打つ


第三章|気分をコントロールするからだを作る

問題に対処するにあたっては、ある程度気分から離れてものを考えるべきだという認識はあるはずです。では、それが実践できているかというと、なかなか難しい。人は往々にして気分に左右されてしまう生き物です。

自分を鬱屈させるもの、たれ込めた暗雲が、ふっと晴れるようにするにはどうしたらよいか。それがわかるだけで、爽快な気分、充実感を得ることができます。さらにそれを「技化」させれば、気分に囚われない状態をいつでも創り出せるようになります。言い換えれば、この技によって気分も変えられる。気分次第で頭の状態や能率が変わったりしなくなるわけです。

私は、気分をコントロールできる技はある、と、「本当は不機嫌」な人間を代表してお伝えしたいのです。上機嫌力は、訓練によって身につけるものです。

運動と同じで、訓練を続けると、上機嫌の筋力がついて、こころの稼働範囲が広がり、上機嫌が生活に占める割合が増えるのです。

不思議なことに、会う方会う方に対して上機嫌でいるよう心がけると、だんだん上機嫌の持久力が伸びてきます。いろいろな人とエネルギーを交換し、上機嫌を自分に課する。


日本人の場合は、欧米人に比べると胸を張っていませんので、肩胛骨が落ちています。肩こり状態です。そのために、呼吸が浅い。肩胛骨を少し張るだけで、肩こりが少なくなり息がしやすくなる。

  • ゆっくり少しずつ息を吐き出すことが、呼吸を深くするコツ。
    • 吐く息が長いほど、副交感神経の働きが高まり、興奮作用を沈静化させる。
  • 上機嫌という言葉には、思考だけではなく身体的な意味合いも含まれる。
    • 機嫌は人間のトータルな存在が醸し出す雰囲気の問題、本質的な問題。
  • 上機嫌を、基本的気分として自分を支配させる。
    • すると、人といる時間がさしてストレスにならなくなる。


第四章|かつて「不機嫌の時代」があった

上機嫌の技を身につければ、実際の自分の状態にかかわらず、人とうまく接することができます。


第五章|上機嫌の技化のメソッド

不機嫌によって被る敵意は生きていく上で圧倒的に無駄なものですから、これを避けるためには、気分に巻き込まれた状態から、自分を引き離して見る力が必要です。それが、大人の知性であり、上機嫌力への第一歩なのです。


一番機嫌よくしていられない瞬間だからこそ、明るく振る舞うことがトレーニングになる。

他人に対する嫉妬心、自分の能力の欠如というものを乗り越えるのです。自分の中のある種の嫉妬心、不安、あるいはそれらを覆い隠したいといった欲望に向き合う。本質的に全人格を改造するわけではなく、細かなことで自己客観視をしていく練習をするわけです。

人間というのはやはり、自己肯定力と自己客観視能力が基本の両輪となって生きていくものです。


上機嫌の状態を習慣化させ、技にする。上機嫌を繰り返し起こすことによって、気分的、身体的にイマイチでも、機嫌を高いところで保つことができる。反復によって力となっていくのです。


まとめ|上機嫌の作法

知性があるというのは、自分の気分をコントロールできることです。

頭のよさと機嫌のよさ、その双方が満たされたとき、人は人生に対して幸福感を得ることができるのです。


自分が笑顔でいられる状態を、意識的に作り出す。これを繰り返すうちにそれが技になって、どんなときでも上機嫌が可能になる。このように機嫌を技として捉え直すことは、今までなかった考え方です。


不機嫌には、次の未来に向かっていくという感じがありません。

事態はこのように悲惨であるけれども、ここに向かっていこうと上機嫌に言うと、態度そのものが一つのメッセージになる。常に未来に向かって、一緒にやろうという発話者側の意志が伝わるのです。


一人でいるときに上機嫌である必要はありません。しかし、上機嫌力は、他の人によって触発されて引き出される力です。一人が続いているとだんだん寂しくなって、この引き出される感じを忘れてしまいます。


不機嫌は力にはなりません。自分には快感でも、他人には気持ちよくない、社会を不活性化する「不作法」なのです。まずは、不機嫌の度合いを減らしましょう。

あとがき

私は最近、あることに気がついた。それは、「本当にできる人は上機嫌」だということだ。

しかも、その上機嫌は、技になっている。いいことがあったから上機嫌、厭なことがあったから不機嫌というのでは素人。機嫌にも、素人、玄人があるのだ。

上機嫌は、強運を呼び込む。私たちがどんな人に惹かれるか思い起こせば、わかりやすい。それは、いつでも上機嫌な人だ。