妄想する頭 思考する手|想像を超えるアイデアのつくり方
序章|妄想とは何か
- 「イノベーションのスタート地点には,必ずしも解決すべき課題があるとはかぎらない」
SDGsにかぎらず,企業の研究開発部門で行われる技術開発の多くは,誰もが必要だと考える課題の解決を目指す「真面目」なものだろう.
自動車メーカーなら,「もっと燃費のよい車を」とか「安全性能を向上させよう」といった課題が社会から与えられ,その解決を目指している.
でも,技術開発の道筋はそういう「真面目路線」ばかりではない.
誰も課題を感じていないのに,世の中の大きなニーズを引き出して大ヒットする製品もある.
- 真面目なイノベーションが「やるべきことをやる」ものだとしたら,「やりたいことをやる」のが非真面目なイノベーション.
- 今の時点で「正しい」とわかっている課題の解決だけを目指せばよいというものではない.
- 想像を超える未来をつくるために必要なのは,それぞれの個人が抱く「妄想」
第1章|妄想から始まる
技術開発にかぎらず,何か新しい企画やアイデアを思いついたときに,その実現可能性の低さを考えて「でも,こんなの無理だよな」と諦めてしまうことはよくあるだろう.
でも,それでは妄想を活かすことはできない.ほとんどの妄想は,「ふつう」に考えると実現困難だからだ.
したがって,「実現可能かどうか」という判断を優先させていたら,「妄想から始める」どころか,妄想を抱いた瞬間に終わってしまう.
- 「素人のように発想し,玄人として実行する」
- 発想そのものは素人でもわかるようにシンプルに,しかしそれを解決するにはプロにしかできないことをしよう,というきわめて簡潔にエンジニアの心得を表現した名言.
- 「悪魔のように細心に! 天使のように大胆に!」
- 天使のように考えて,悪魔のように実行する.
私の研究室では,研究開発のテーマを「天使度」と「悪魔度」の二つの座標軸で評価している.
天使度は発想の大胆さを表す尺度だから,金出さんの言う「素人」的なものも含まれるし,人をポカンとさせるようなアイデアもこれの度合いが高い.
一方の悪魔度は,黒澤監督の言う「細心さ」に加えて技術レベルの高さも含んでいる.実現をするのに必要な技術レベルが高いアイデアほど,悪魔度が高い.だから,より玄人の専門性が求められる.
研究者はそれぞれ自分の専門分野をよく勉強しているから,課題の「悪魔度」を上げるのはわりと得意だ.どんな技術にも「伸びしろ」はあるから,グレードアップやバージョンアップを目指せば「より難易度の高い(悪魔度アップな)課題」はいくらでも見つかる.
でも,その「天使度」は発明された当時から変わっていない.というより,「天使のような大胆さ」があったのは最初だけだ.
スペックを上げる技術競争は,ほぼ「悪魔度」オンリーだ.エンジニアは,そういう悪魔度を高めることに生き甲斐を感じる傾向が強い.
もちろん,その意欲は大切だが,それを追求しているうちに,天使のような大胆さや素人の発想を忘れてしまうことも多い.
だから,研究テーマの良し悪しを評価するときは,「天使度」と「悪魔度」のバランスが大切だ.
悪魔でさえ「いや,それはちょっと...」と尻込みするようなレベルの妄想を抱き続けられる人間が,破壊力のあるイノベーションを起こすのだと思う.
第2章|言語化は最強の思考ツールである
発想法にはいろいろな技法があるが,私が大事にしている思考ツールはとてもシンプルに「言語化」だ.言語化すれば一撃でわかる.
モヤモヤとした頭の中のアイデアをとにかく言語化してみることで,そのアイデアの穴が見えてきて,妄想は現実に向かって大きく動き出す.
アイデアの原点である「WHAT(何をしたいのか)」や「WHY(なぜやりたいのか)」などを明確にするには,言語化が最強のツールだ.
- 研究者は,自分たちの研究対象のことを「クレーム」という言葉で表すことがよくある.
- もともと英語の「claim」は「主張」や「請求」といった意味.
- 「 私はこの研究ではここを主張します」という言明のことをクレームという.
クレームは試験の答案ではないから,一発で「正解」を出す必要はない.
むしろ,他人からのフィードバックを受けてさらに中身をブラッシュアップするのが目的だと考えたほうがいいだろう.
つまりクレームは,あくまでも「仮説」でしかない.仮説は最終的な答えではなく,検証を受けるために出すものだ.常に正しいことは「ファクト」であってクレームにはならない.
仮説として成立すること,検証するための最短パスを考えることが,研究や技術の開発計画になる.
- クレームで重要なのは短く言い切れること.
当たり前だが,エンジニアは世の中のすべての課題やニーズを知っているわけではない.
蒸気機関車やレコードのように,存在しなかったニーズが後から生まれることもある.
だから,面白い「手段」を思いついたなら,後からそれを解決策として使えそうな課題を探せばいい.
まったく縁のなかった分野に,「そんな技術があるなら是非これに使いたい」と言う人がいる可能性もある.
自分の妄想から生まれた面白いアイデアは,最初の用途にこだわりすぎずに,より大きな「必要」の可能性を検討してみることも大事だろう.
- 素材の良し悪しを知るには,実験や思索などの本格的な研究作業に入る前に,論文のあらすじを書いてみるといい:
- 課題は何か?それは誰にとって必要なものか?
- その課題はなぜ難しいのか?あるいはなぜ面白いか?
- その課題をどう解決するのか?(これが最初に思いついた「一行クレーム」に応答する場合が多い)
- その手法で解決できることをどう立証するか?どう決着をつけるか?
- その解決手法のもたらす効果,さらなる発展の可能性.
- アイデアは料理の素材と同じで,鮮度が落ちると味も落ちる.
一行のクレームを書いてから決着をつけるまでの最初のサイクルを短くすることが大事だ.そこに時間をかけていると,打数は増えない.
偉大な発明家にしても,数々のヒット曲を生み出すプロデューサーにしても,一発必中でもなければ,百発百中でもない.じつは,山ほど失敗している.
ヒットも凡打も記録に残る野球のバッターと違って,発明や楽曲の失敗作は世に出ない(出ても売れないのでみんな知らない)から,打数の多さや打率の低さが目立たないだけだ.
第3章|アイデアは「既知✕既知」
新しいアイデアには,何かしらの世の中のバランスを崩すようなところに価値がある.
みんなが「こういうものだ」と思っていた常識が,あるアイデアに出現によって突如としてひっくり返る.
それがイノベーティブなアイデアだ.
- 個人の妄想から始まるアイデアづくりは,どこかで孤独なプロセスを経なければいけない.
- アイデアの「責任」を負うのは,それを思いついた個人であるべき.
- 集団で考えると,責任が分散してしまうので,真剣に考えることができない.
アイデアは基本的にひとりで孤独に考えるものではあるけれど,「課題と解決策」(あるいは「目的と手段」)のマッチングは,他者との出会いによってうまくいくことが多い.
私たちの世界でときどき企業などとの「共同研究」が行われるのも,それが大きな理由のひとつだ.
- 一人前の研究者は,世の中のさまざまな先行研究を知り尽くした上で,なおも新しいフロンティアを切り拓く.
- どんな仕事でも,新しいアイデアの源が枯れたら先には進めない.
- 自分の中の「天使度」を鍛えるのは,未知のものに対する好奇心.
第4章|試行錯誤は神との対話
「このアイデアは面白そうだけど,本当にうまくいくだろうか」などと,じっと熟考するのではない.ダメ元でもいいのでまず手を動かしてみる.
「思いついたらとにかく手を動かす」のは,アイデアを形にする上でそれぐらい大きな比重を占めていると私は思う.
- 失敗が重要なのは,それが「自分が取り組んでいる課題の構造を明らかにするプロセス」だから.
手を動かさないと失敗さえできない.失敗によって問題の構造が見えてくれば前進だ.
うまくいかないなら,その問題を解決する方法を考えながら,また手を動かせばいい.
そういう試行錯誤をどこまで続けられるかが,技術開発の勝負どころだ.
2つか3つの試行なら誰でもできるだろうが,100個のやり方を試すことのできる人間はそういない.
- 新しいアイデアを生む才能より,手を動かし続ける才能のほうが,競争に勝つには重要だとさえ言える.
ひらめきを得ながら,試行錯誤を重ねてゴールまで到達する経験を一度でもすると,自信が持てるようなる.
そういう成功体験がなく,失敗に嫌気がさして途中で投げ出してしまうことが何度かあると,逆に自信を失ってしまう.
そういう好循環を起こすには,とにかく一度は放り出さずに最後までやりきる経験をしたほうがいい.
第5章|ピボットが生む意外性
- この章では,試行錯誤の方法のひとつ,ピボット(方向転換)について考えてみたい.
- 技術開発は自分ひとりで完結するものではない.
- その成否は,世の中の情勢や価値観の変化などの外的環境にも左右される.
技術開発には,「あちらを立てればこちらが立たず」というトレードオフの関係にある機能や性能がある.
そういうとき,ふつうは「解像度も速度も」と,両方を達成しようとするので話が難しくなる.
ところが紙送りセンサーは,画素数を捨てる代わりに高速度は追求し,そのトレードオフのバランスを極端に崩した.
そんなことをすれば,ふつうのカメラとしてはまったく通用しないものになる.
だがその結果,プリンターの紙送りセンサーという,用途は異なるがきわめて有用なデバイスが誕生したわけだ.
- 「手段の目的化」は,どんな分野でもしばしば起こる.
- ある目的のための手段を考えているうちに,その手段を完成させること自体が目的であるかのように錯覚してしまう.
新しい椅子のデザインを考えるとき,「椅子とは四本の脚と座面を持つものだ」という「形」にとらわれていると,アイデアの幅は広がらない.
椅子の「そもそもの目的」は,形ではなくその「機能」だ.
では椅子の機能とは何かといえば,「座れること」にほかならない.だとすれば,「座る」とはどういうことかを考えてみるべきだろう.
座っている人は立っていない.また,寝てもいない.寝てはいないけれど,体重を何かで支えられているので,立っているよりは楽だ.
人をそういう状態にする機能を持つ「何か」が椅子だろう.
第6章|「人間拡張」という妄想
研究開発には,まず妄想を現実的な形にするフェーズがある.
いわば「0」を「1」にするような段階だ.それがうまくいきそうなら,次はその「1」を「5」や「10」に広げるフェーズに進む.
そうやって少しずつ商品化に向かうのが企業の研究開発だ.
終章|イノベーションの源泉を枯らさない社会へ
新しいテクノロジーは,どんどん使って問題を見つけたほうが改良される.
しかしそういう発想が,日本社会ではあまり受け入れられない.
人をキョトンとさせるアイデアが「意味がわからないから」と否定されるのと同じように,使ってみないとよくわからない不確実なものは嫌われる.