直観を磨く

序話|直観と論理が融合したとき,最高の思考力が生まれる

  • 「深く考える」とは,「論理思考」を超えた思考法を用いて考えること.
    • 「直観」を用いた思考法,すなわち「直観思考」と呼ぶべきもの.
    • 「深く考える技法」とは,なにか一つの特殊な思考法ではなく,様々な思考法を活用しながら,思考と思索を深めていく技法のこと.
  • 一流の「思考のプロフェッショナル」は,「論理」と「直観」を対立的に捉えず,その二つを融合させた最高の思考法によって,物事を深く考えていく.
  • 論理思考を超えた「七つの思考法」:
    1. 直線論理だけで考えない
    2. 二項対立構造で考えない
    3. 個別問題だけを考えない
    4. 狭い視野の中で考えない
    5. 文献知識だけで考えない
    6. 自己視点だけで考えない
    7. 直観の力を用いて考える
  • これからのAI時代に活躍する人材とは,「論理思考を超えた思考法」と「知識を超えた智恵」を身につけた人材.
    • 「論理思考」と「知識活用」の能力だけで「考える」ことをしている人材は,AIに淘汰されてしまう.
  • 我々の中には,様々な個性と能力を持った複数の人格が存在する.
    • それらの人格の中で,他の人格とは比較にならないほど不思議な力を発揮する人格があり,これを「賢明なもう一人の自分」と呼んでいる.
    • 鋭い直観や洞察を教えてくれるとともに,ときに,我々を,深い思考や思索へと導いてくれる.


第一部|深く考えるための「七つの思考法」

第一話|問題の「循環構造」を俯瞰しながら考える

  • 「論理思考」にも,初級課程と上級課程がある;
    • 初級課程:「直線論理」の思考法
    • 上級課程:「循環論理」の思考法
  • 「直線論理」の思考法とは:
    • 「Aが原因となって,Bが結果となる」(原因と結果)
      • 「良い商品を開発できないから(原因),あの企業は業績が不振なのだ(結果)」
    • 「Aという根拠で,Bという結論が得られる」(根拠と結論)
      • 「顧客のアンケートを見ると(根拠),当社のサービスは不評だ(結論)」
    • 「Aという目的を達するために,Bという方法を使う」(目的と方法)
      • 「社員の意欲を高めるためには(目的),もっと給料を上げる必要がある(方法)」

実は,世の中の解決困難な問題の多くは,「循環構造」をしており,さらに言えば,いわゆる「悪循環」に陥っているのである.

そして,考えるべき問題が「循環構造」をしているときには,「直線論理」の思考には,しばしば,立場による主観的な利害判断が混入し,恣意的に因果関係が主張されるということが起こるのである.

  • 「大局観」や「洞察力」という能力は,複雑な問題群の「循環構造」を把握するときにも発揮される.
  • 企業組織などがおかしくなるときは,一つの部署だけがおかしくなることは無い.
    • 企業組織は全体性を持った有機体(生命体)であるため,企業全体が大きな問題に直面するときは,すべての部署が,多かれ少なかれ,何らかの意味で,おかしくなっている.
    • 「結局,どの部署が問題なのか」という「犯人捜し」の議論に流される前に,まず,それぞれの部署が,「自分の部署は,全体の問題を解決するために,何をするべきか」という思考に向かうべき.

第二話|問題の「矛盾」を解決しようとしないで考える

  • 「論理思考」は,「二項対立」的な思考法のため,しばしば,目の前の複雑で混沌とした現実を単純化して捉えてしまい,その現実にうまく対処することができなくなる.
  • 弁証法」とは,対立するものを超えて,より高い視点に立つ思考法.
    • ある一つの考え方(正)に対して,これと対立する考え方(反)を取り上げ,これら一見,対立するものを,よろ高い次元で統合していく(合)思考のプロセス.
    • 「正・反・合」のプロセスによる「止揚」をめざす思考法.

物事を深く考えるためには,単純な「論理思考」による「二項対立」の思考法に陥ることなく,「弁証法」による「対立止揚」の思考法を用いることが必要である.

第三話|橋のデザインを考えるのではなく,河の渡り方を考える

  • 「解決の方法」を考えるのではなく,「解決すべき課題」を考えるという思考法.
    • 問題や課題の解決策を考えているときに,我々がしばしば陥る「浅い思考」の落とし穴に対して,「深い思考」への転換をもたらすことのできる技法.

もし,我々が,問題や課題の解決方法を考えているときに,解決策が見当たらないという壁に突き当たったならば,次の警句を思い起こすことである.

「橋のデザインを考えるな,河の渡り方を考えよ」

すなわち,もし,我々が,「橋の設計(デザイン)」について議論しており,鉄筋の橋が良いか,木造の橋が良いか,架橋が良いか,浮き橋が良いかといった議論が壁に突き当たったとき,この警句を思い起こすならば,まったく違った発想へと転換することができる.

すなわち,本来の課題が何であったかに回帰し,それが「河を渡ることである」と再認識するならば,「橋」という解決方法だけではない,様々な解決方法が頭に生まれてくるだろう.

  • 「解決の方法」ではなく,「解決すべき課題」を考える.

我々は,いつも,問題解決の鍵を,「最先端の技術」や「革新的な制度」に求める傾向があるが,しばしば,その解決のための本当の鍵は,「人間心理の機微」にある.

第四話|専門知識で考えるのではなく,専門知識を横断して考える

  • 「垂直知性」で考えるのではなく,「水平知性」で考える.
    • 「垂直知性」:一つの専門分野を深く掘り下げる知的能力のこと.
    • 「水平知性」:様々な専門分野を横断的,水平的に結びつけて物事を考える知的能力のこと.

これからの時代は,世の中の物事がますます複雑に絡み合い,一つの専門知識だけで問題を解決することがさらに困難になっていくため,専門分野を深堀りしていく「垂直知性」以上に,様々な専門分野を結びつけて解決策を見出していく「水平知性」こそが重要になっていく.

  • 難しい専門知識や最先端の用語を「分かりやすい言葉」にするためには,その用語が意味することの「本質」を理解していなければならない.
    • 様々な専門分野を横断的,水平的に結びつけて物事を考える「水平知性」を発揮するためには,それぞれの専門分野の「詳しい専門知識」を知っている必要はないが,それぞれの専門分野の「基本概念」や「基本思想」,さらには「基本問題」や「先端問題」について,その「本質」を理解している必要がある.
    • 「分かりやすい言葉」で語ろうとすると,物事の本質が,よく見えてくる.

第五話|本で読んだ知識ではなく,体験から掴んだ智恵で考える

  • 「文献知性」で考えるのではなく,「体験知性」で考える.
    • 「文献知性」:物事を考えるとき,書物や雑誌,新聞やウェブなどによって得られた「文献知」によって考える思考のこと.
      • 「言葉で表せる知識」のことであり,容易に学び,身につけることができるもの.
    • 「体験知性」:物事を考えるとき,自身の経験や体験を通じて得られた「体験知」によって考える思考のこと.
      • 経験や体験を通じてしか身につけることができないものであり,「言葉で表せない智恵」.
  • 仕事には,単に本を読んだだけでは分からない「深い世界」がある.「深い世界」とは,「暗黙知」と呼ばれる世界である.
    • 暗黙知」:言葉で表すことができず,経験や体験を通じてのみ掴むことのできる「知」.日本語では,昔から「智恵」と呼んできた.

「我々は,言葉で表せる以上のことを知っている」

  • 「反省」の技法:
    1. 「経験の追体験
      • 何かの「経験」をしたとき,直後に,その経験の場面を,時間の流れに沿って,順次,思い起こし,その経験を心の中で「追体験」する.
    2. 「体験知の振り返り」
      • 「経験の追体験」を通じて,その経験のそれぞれの場面で,どのような「体験知」を学んだかを,一つ一つ振り返る.
    3. 「体験地の言語化
      • 経験から学んだ「体験知」を,できるだけ「言葉」にして,同僚や仲間に語ったり,日記に記録する.
  • 経験の浅さは「擬似的な経験」によって補う.
    • 「擬似的な経験」とは,テレビのドキュメンタリー番組やドキュメンタリー映画を観ることである.
    • 例えば,企業や経済の現場などでの人物の動きを密着取材したドキュメンタリー番組などを観て,その番組に出てくる人物の立場に立ち,想像することである.

第六話|自分の中に複数の人格を育て,人格を切り替えながら考える

  • 「自己視点」で考えるのではなく,「他者視点」で考え,さらには,「多重人格視点」で考える.
    • 自分のエゴを静かに見つめる「もう一人の自分」,すなわち,「静かな観察者」とでも呼ぶべきもう一人の自分が,心の中に生まれてこなければならない.
    • 世の中を見渡して,「成熟した精神」を持っている人は,誰もが,この「静かなる観察者」と呼ぶべきもう一人の自分を,心の中に持っている.
    • 「他人の視点や立場や気持ちになって考える」ということは,本来,自分自身も,その「他人」と同様の経験がなければ,そうした想像力そのものを働かせることはできない.

「苦労」の経験が与えられたとき,ただ,それを嘆き,悔い,忌避しながら,やり過ごすのか,それを「他人の視点」を学ぶための好機と思い,そのときの自身の苦しさや辛さ,悲しさや寂しさといった「心の動き」を見つめるのか.

我々が,相手の視点に立って深く考えること,相手の立場になって深く考えること,相手の気持になって深く考えることができるようになるためには,やはり,人生と仕事における様々な経験,それも「苦労」の経験が,極めて重要である.

  • 「他者視点を超え,多重人格視点で考える」とは:
    • 物事を考えるとき,複数の人格を切り替えながら考えるという技法.
    • 「思考のプロフェッショナル」と呼ばれる人は,分野を問わず,自分の中にいくつもの人格を持ち,「複数の人格の切り替え」を行いながら,思考を深めていく.
      • 一つの脚本に従って何人もの俳優への細やかな演技指導をする映画監督にも求められるものであり,また,映画や舞台によって様々な役柄を演じ分ける俳優にも求められる能力.
    • 深く考えるためには,「色々な人の視点で考えることができる」という次元を超え,究極,「自分の中に,色々な人格を育て,それを切り替えながら考えることができる」という能力が求められる.

第七話|心の奥の「賢明なもう一人の自分」と対話しながら考える

  • 「自分」で考えるのではなく,「賢明なもう一人の自分」と対話する.
    • 自分の中から「賢明なもう一人の自分」を呼び出し,心の中で,静かに,その人格との対話を始めるという技法.
    • 不思議なほど,その「もう一人の自分」が,直観や洞察を与え,思考や思索を深めてくれる.

ある難しい問題を前に,表面意識の自分は,答えが分からず迷っている.

しかし,一つの答えを決める,ぎりぎりの場面で,心の奥深くから「もう一人の自分」が現れ,自分にもう一つの答えを囁きかけてくる.

何かの直観が働くときには,心の中から「もう一人の自分」が語りかけてくるような感覚に包まれる.

そして,ほとんどの場合,この「もう一人の自分」が囁きかけてくることは,正しい方向を示している.

  • 我々の能力を分けるのは,そして,我々の人生を分けるのは,実は,その「賢明なもう一人の自分」の存在に気がつき,その自分との対話の方法を知っているか否かなのである.
  • 「賢明なもう一人の自分」は,我々の想像を超えた素晴らしい二つの能力を持っている:
    1. 論理思考を超えた「鋭い直感力」
      • 最も高度な「考える力」とは,論理思考を超え,突如,新たな考えや正しい考えが閃く直観力のことである.
      • 「直観は過たない,過つのは判断である」
    2. データベースを超えた「膨大な記憶力」
      • 我々の心の奥深くには,実は,人生で触れたすべての情報が記憶されているのである.
      • しかし,我々の通常の思考では,それらの情報のごくわずかしか取り出すことができない.だが,「賢明なもう一人の自分」は,それらの情報の中から,必要なものを,瞬時に取り出すことができる.

第八話|必要な叡智は自然に降りてくると信じて考える

  • 我々誰の中にも素晴らしい能力を持った「賢明なもう一人の自分」がいるにもかかわらず,なぜ,そうした能力が,日常の思考において発揮されないのか.
    • 我々の多くは,「自分は直観力が無い」「自分は記憶力が無い」という無意識の「自己限定」をしてしまっている.
    • 我々は,「自己限定」の意識が心を支配した瞬間に,本来持っている能力を無残なほど発揮できなくなる.

世の中で「天才」と呼ばれる人々を見ていると,実は,分野は違っても,一つ,共通の特長があることに気がつく.それは,何か.

「自己限定」をしない.

実際,「天才」と呼ばれる人々は,不思議なことに,それが科学・技術の分野であっても,絵画・音楽の分野であっても,文学・文筆の分野であっても,決して「自己限定」をしないのである.

「自分には,できない...」「自分には,無理だ...」「自分には,不可能だ...」といった「自己限定」の意識を持たないのである.

もとより,「天才」と呼ばれる人々の特長は,これ以外にも,人並み外れた努力をすることや,強い信念を持つことなどがあるが,最も重要な共通項は,「自己限定」をしないということであろう.


第二部|「賢明なもう一人の自分」と対話する「七つの技法」

第一話|まず,一度,自分の考えを「文章」に書き出してみる

  • 何かのテーマについて,自分の中にいる「賢明なもう一人の自分」と対話をしたいと思うならば,まず何よりも,そのテーマについて,自分の考えや思いを,そのまま「文章」にして書いてみるのである.
    • そして,次に,一度,時間を置き,心を整え,静かな心で,その文章を読み直すのである.
  • 本来,「日記」というものは,「秘された形」で書くとき,精神の成長と成熟にとって,大きな意味を持つ.
    • 「日記」において,自分の思いや感情,考えや思考を,ありのままに書いていくと,不思議なほど,自分の中の「賢明なもう一人の自分」が囁き出す.
    • 「賢明なもう一人の自分」との対話が,自然に思考を深めてくれるのであり,こうした対話の習慣を通じて,自然に成熟した思考のスタイルが身につく.

第二話|心の奥の「賢明なもう一人の自分」に「問い」を投げかける

  • 「質問力」という言葉があるが,質問をする,問いを投げかけるということは,考えを深めていくための優れた技法である.

「問い」を自分自身に問うと,最初は,心に何も浮かんでこないが,しばらくすると,自問自答の形で,心の奥深くから「答え」が浮かび上がってくることが起こる.

この「しばらく」とは,ときに,若干の休憩の後であったり,翌日の朝であったり,数日後であったりするが,一定の時間を経て,「答え」が浮かび上がってくることは,しばしば起こる.

では,なぜ,こうしたことが起こるのか.

それは,「賢明なもう一人の自分」は,実は,心の奥深くでこうした「自問自答」に静かに耳を傾けているからである.

そして,しばしば,その「問い」に刺激を受け,動き出し,ふとした形で,その「答え」を教えてくれるのである.

第三話|徹底的に考え抜いた後,一度,その「問い」を忘れる

  • 「賢明なもう一人の自分」の直観力は,我々の表面意識で「答えを知りたい」という気持ちが強すぎると,働かない.

ノーベル賞を受賞するような科学者の「天才的直観」と呼ぶべき素晴らしいアイデアは,「答えを見つけよう!」と必死に考え,考え,考え尽くして,疲れ果て,一度,その問題から離れ,休息をとったときや,睡眠をとったとき,さらには,他の仕事に集中したときや,何かの遊びに没頭したとき,突如,閃くことが多いと言われる.

第四話|意図的に「賢明なもう一人の自分」を追い詰める

  • 追い詰められたとき,もしくは,意図的に自分を追い詰めたとき,「賢明なもう一人の自分」が動き出す.
  • 「いつまでに企画を出す」と上司や同僚に宣言してしまい,自分を追い詰める.

第五話|ときに「賢明なもう一人の自分」と禅問答をする

  • 「賢明なもう一人の自分」は,「難しい問題」を好む.
    • 「禅問答」のような問いである場合には,不思議なほど,「賢明なもう一人の自分」が動き出す.
  • 人生のある時期に,ある逆境が与えられるということは,必ずしも「不運」なことではない.
    • その逆境の受け止め方次第で,我々は,それを人生の「幸運」に転じていくこともできる.

第六話|一つの「格言」を,一冊の「本」のように読む

  • 「文章を読む」こともまた,「賢明なもう一人の自分」と対話する一つの優れた技法である.

人類の歴史の中で,永く,多くの人々に語り継がれてきた格言や名言というものは,自分自身の「体験」に照らして,それを読むときのみ,その叡智を掴むことができる.

すなわち,「体験知性」によって読むときのみ,心の奥深くの「賢明なもう一人の自分」が動き出し.その格言を触媒として,我々に深い叡智を教えてくれるのである.

  • 本来,真の読書とは,「著者との対話」である以上に,「自己との対話」に他ならない.


第三部|「賢明なもう一人の自分」が現れる「七つの身体的技法」

第一話|呼吸を整え,深い呼吸を行う

  • 「深く考える力」を身につけたいと思うならば,まず,最も基本的な技法として,「呼吸を深くする」ことであり,さらには,日常的にも「深い呼吸を身につける」ことである.
    • 実際,我々の思考が浅くなるときとは,しばしば,焦って物事を判断してしまうときや,感情的になって物事を判断してしまうときである.

第三話|群衆の中の孤独に身を置く

なぜ,多くの人々が存在し,様々なものが視野に入り,人声や雑音に溢れるカフェや喫茶店などが,創造的な仕事に適した場所になるのか.

その一つの理由は,いわゆる「群衆の中の孤独」という状態になれるからであろう.

言葉を換えれば,周りに多くの人々がいるため「密やかな安心感」がありながら,それらの人々は,自分に無関心であり,自分に干渉せず,放置しておいてくれるという「心地よい孤独感」が楽しめるという状態である.

こうした状態では,不思議なことに,目の前の仕事に集中でき,ときに「軽いトランス状態」になることさえある.すなわち,それは,「賢明なもう一人の自分」が現れやすい状態でもある.

第四話|自然の浄化力の中に身を浸す

  • 「自然」には,偉大な「浄化力」がある.自然に触れ,身を浸していると,その「浄化力」によって,心身ともに「癒やされる」.
    • 心が「癒やされる」状態とは,心の中の「エゴ」が鎮まっている状態であり,我々の心の奥深くから「賢明なもう一人の自分」が現れ,叡智のフィールドに繋がり,様々な発想やアイデアが降りてくる.

時間を見つけ,週末などに富士五湖周辺に出かけていた.冬の寒い時期には,しばしば,湖南の海岸を訪れていた.

しかし,仕事が多忙を極め,週末,郊外に行く時間もなく,海や森の大自然を訪れることができないときは,近くの神社の森や,公園の森に行き,身近な自然に触れていた.それもまた,自然に身を浸す,もう一つの方法であった.

どれほど多忙な日々の中でも,時間を見つけ,工夫をし,自然に触れることである.そして,自然の「浄化力」に見を浸すことである.

そのとき,風の音や波の音など,自然の静けさの中で,心の奥深くから「賢明なもう一人の自分」が現れてくる.

第五話|思索のためだけに散策をする

  • 昔から,物事を深く考えるためには,「散策」をすることが一つの優れた方法とされてきた.
    • そして,思索を深めるために散策をする場所は,京都のような美しく静かな自然の中であることは,一つの理想でもある.
    • 森の中を散策すると,「賢明なもう一人の自分」が現れてきて,新たな発想やアイデアを教えてくれることは,しばしば起こる.
    • 思索を深めるための散策は,必ずしも,自然の中である必要はない.


終話|あなたは,自分の中に「天才」がいることに気がついているか

人間として「謙虚な心の姿勢」を持つということと,自分の才能や能力について「自己限定」をしてしまうこととは,全く別のことである.

「自己限定」は,実は,単なる偏差値によって人間を格付けしてしまう現在の教育制度が,我々の意識に刷り込んでしまったものであり,また,競争によって人間を少数の勝ち組と圧倒的多数の負け組に分けてしまう競争社会が,我々の意識に浸み込ませてしまったものにすぎない.

だからこそ,ひとたび,我々が,その「自己限定」の意識が「外から刷り込まれた幻想」にすぎないことに気がつき,その意識を払拭することができるならば,不思議なほど,そして,自分でも信じられないほど,才能や能力が開花するのである.

能力開発と才能開花における,大きな分かれ道は,まず,そのことを信じられるか否かなのである.


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