電機メーカーが消える日
- 作者: 大西康之
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2017/05/17
- メディア: 新書
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序章 日本の電機が負け続ける「本当の理由」
- 先進国で一つの産業が勃興し,世界市場を支配する.だが,やがて新興国から新規参入者が現れ,競争力の落ちた先進国の老舗企業から市場を奪っていく.
- 問題はこれまで「新」の側だった日本企業が「旧」に変わったこと.
- 「日本のものづくりは世界最強」というプライドが,いまもって日本全体を覆っている.しかし電機メーカーに限って言えば,それはもはや幻想である.
- 日本の電機大手がトップの座から転がり落ちたのは,それらの事業が各社にとって,絶対に負けられない「本業」ではなかったから.
- 重電から家電まで幅広く手がける日本の総合電機に「偏熱狂」はいなかった.半導体はいくつもある事業の一つに過ぎず「失敗しても会社が潰れることはない」という甘えの中で経営が行われていた.
- 日本の電機大手には,副業で負けても食べていける「本業」があった──その点を押さえておかなければ,今日の電機メーカーの衰退は理解できない.
- 自分たちが提供するテクノロジーがどう使われるのか,考えたこともない.それが電電ファミリー経営者の実態だった.
- 利用者が自由に端末を選べる欧州では,メーカーが端末開発に全力を傾注し,最終消費者を奪い合う.機能や価格でライバルに劣れば,すぐに振り落とされる.
- アップルやサムスンは自らリスクを取ってスマホを開発し,巨費を投じて世界規模の販売網とブランド力を構築したが,日本勢は自らリスクを取らなかったため,競争力がなくなってしまった.
- 日本メーカーにとって最大の顧客はNTTドコモ.そのドコモが本気でスマホに取り組むまで,日本メーカーは動くに動けなかった.
- 各社は「自分たちが生きていける場所」を懸命に探している.試されているのは「変化する力」であり,日本の電機産業にはまだ人材と技術と経験が残っている.
- 正しく生まれ変わるには,いつどこで何を間違えたかを,学ばなくてはならない.
1. 東芝:「電力ファミリーの正妻」は解体へ
- 将来を託せる「成長事業」がなかった.
- 「原発と半導体に集中する」と言いながら,テレビ,パソコンなどの赤字事業をずるずる続けてきた.そしてこれら赤字事業のほとんどが,のちに粉飾の温床になる.
- 「原発事業は儲からない」
- 福島第一原発事故は,原子力という制御できないテクノロジーを弄んだ産学共同体の暴走が招いた悲劇と言える.
2. NEC:「電電ファミリーの長兄」も墜落寸前
3. シャープ:台湾・ホンハイ傘下で再浮上
4. ソニー:平井改革の正念場
- 「電機大手」の群れから抜け出すことが,ソニーが生き残るための道である
- 「商品を売って終わり」のメーカーから,利用者へのサービスを通じて継続的に収益をあげる「リカーリングビジネス」を主軸に据えようとしている
- メーカーからリカーリングに転身したお手本はアップル.iPhoneを「売って終わり」ではなく,売った後もアプリや音楽といったサービスで継続的に収益をあげている
- ネットに繋がるパソコンやスマホの場合,利用者にとって大切なのはハードの向こう側にあるプラットフォームであり,ハード単体の性能では差異を生み出せなくなっている
- 利用者の目線に立てばパソコン,スマホといったハードはこれらのプラットフォームを利用するための道具に過ぎず,必要最低限の性能を備えていれば,あとは安いほうがいい
- ソニーの存亡は,「脱エレクトロニクス」,すなわち前述したリカーリングビジネスへのシフトを急ぎ,プラットフォーム企業に変貌できるかどうかにかかっている
- フィリップスには,「人々の暮らしを健やかにする事業しかやらない」という哲学がある
5. パナソニック:立ちすくむ巨人
6. 日立製作所:エリート野武士集団の死角
7. 三菱電機:実は構造改革の優等生?
- 純利益で国内1位の電機メーカー
- 三菱電機の強さを一言で表すと<構造改革の優等生>
- 構造改革とは,「勝てない事業から撤退し,勝てる分野にヒト・モノ・カネを集中すること」
- 世界の企業が巨額の開発・設備投資を競い合うレッドオーシャンとなった携帯電話機や半導体のようなデジタル分野から逃げ出し,ブルーオーシャンのファクトリーオートメーション(FA=工場の生産工程の自動化)や昇降機に経営資源を集中させた