無理の構造
まえがき
- 本書では「勘違いの可視化」を提示する.
- 人間は暗黙のうちに身の回りのものを(実際には非対称であるのに)対象であると勘違いしている.
- これが本書で取り上げる「根本的な勘違い」であり.無駄な努力の根本的な原因と考える.
- 世の中には「理不尽」なことがあふれている.
- 「理不尽」なのは,「世の中」なのではなくて,「私たちの頭の中」である .
第1部 対称性の錯覚
錯覚の積み重ねと「三つの非対称性」
- 私達が普段何気なく「この二つは対称である」と思っていることは,よく考えてみると実は対称ではない.
→ 対称性の錯覚 - 「対称性の錯覚」の積み重ねが,私達が日常感じる「理不尽さ」の根本にあるというのが,本書の仮説.
- 人間や社会が従っている根本的な三つの対称性.
1. 物理的非対称性
2. 知的非対称性
3. 心理的非対称性
「知識」の非対称性,「思考」の非対称性
- 「知識」における非対称性は,「増えることはあっても減ることはない」ということ.
- つまり,「覚える」と「忘れる」は,完全な双方向ではなく,非対称である.
「具体と抽象」の非対称性
- 科学におけるさまざまな法則というのは,個々の事象を観察し,そこから何らかの仮設を立てて法則をモデル化し,それをさらに実験によって検証するという手順を踏む.
- いったん法則ができてしまえば,あとはさまざまな分野に応用することができる.
- しかし,人間は良くも悪くも,一度法則化・ルール化してしまうと,そのパターンが変化しても,覚えた法則やルールを疑うことなくいつまでも使い続けてしまう.
- 具体レベルは「目に見える」ものなので誰にでもわかりやすいが,抽象レベルの「概念」というのは「見える人にしか見えない」.
→ 暗記などの「具体的なもの」は誰でも「ついていける」が,大学の数学のような「抽象度が高いもの」は「ついていけない」人がでてくる. - 「お金」というのは,人間が生み出した最も重要な抽象概念の一つであるが,このお金の発明によって,もともと対称性があったはずの「物々交換」(具体と具体)が,「モノとカネ」という「具体と抽象」の交換である「売買」に変わることによって,交換行為そのものを非対称にするという大きな変化をもたらした.
→ 「非対称性」から「上下関係」が発生し,「理不尽さ」が生まれた.
「言葉」という幻想
- 日常生活で私たちは,抽象度が高い「言葉」というものを共通の定義もなく「各自の勝手な定義で」用いて,その定義が相手と全く異なっていることすら意識しないで,「会社と個人の関係」や「仕事と遊びの関係」について語って議論している.
「人間心理」の非対称性
- 人間は基本的に保守的であり,「変えること」よりも「変えないこと」を選ぶ.
- ポジティブなものを「増やす」ことには抵抗がないのに「減らす」側の変化には大きな抵抗を示す傾向がある.
1:9の「ねじれの法則」
- 「1」が世の中の方向性を支配し,「1」は憧れられる存在として君臨するが,結局世の中は「9」の論理で動いている.
第2部 時間の不可逆性
気づきにくい社会や心の不可逆性
- 「いつでも逆に戻せるさ」と思っていても,実は逆向きに動かすのには多大なエネルギーが必要なことがある.
社会・会社の劣化の法則
- 人の集団としての社会も組織も,エネルギーと同様に「劣化」の方向に変化していく.
- 「自然に」逆向きに変化が進むことはない.
- 根本的にこの不可逆的な事象を解決するには,人間が新しい生命体を生み出して世代交代するがごとく,「別のものを新しく立ち上げる」しかない.
具体化・細分化の法則
- 「劣化」というよりは,大多数の平均レベルに合ってくる.
- 一度人々の頭の中に「常識」として埋め込まれた線は強い印象を持ち,線を引き直すのは容易なことではない.
第3部 ストックの単調増加性
- ストックを増やすのは容易だが,減らすのは容易ではない.
- 増やしたものはいつでも同じだけの努力で減らせると思いがちだが,実際には逆向きの動きに必要なエネルギーはとんでもなく大きいために簡単には後戻りできないことが多い.
第4部 「自分と他人」の非対称性
宇宙と「人間の心」
- 人は「自分を中心にしてしか,ものごとを考えられない」.
- 「自分は客観的,理性的な考え方をしている」と錯覚している.
- 「自分」という「宇宙の中心」を離れて,いかに自分自身を宇宙空間の真っ只中に放り込んで,他のすべての物体と同等に見ることができるか.
コミュニケーションという幻想
- コミュニケーションにおいて,「伝える」と「伝わる」の間に大きなギャップがあり,伝えたからといって伝わったと思うな...とはよく言われることだが,そもそも,「伝わる」という状態の定義そのものが曖昧であり,その状態自体が相当あやしいものである.
- 「わかっている」が起点ではなく,「わかっていない」を起点にすれば,「少しでもわかった気分になる」ことでプラスに考えられるようになる.
「公平」という幻想
- 「人生は公平である」というのは,「そう思わなければやっていられない」のかもしれないが,現実はそうであるわけがない.
- 人間の数だけ,「公平さの基準」が存在する.
- 自分だけが上司から評価・抜擢されたとすれば,「いい上司だ」「見てないようでちゃんと見ている」「実力から公平に判断すれば当然だ」となり,それが他の誰かであれば,「不公平だ」「好き嫌いで決めている」となるわけである.
- そこにいるのは,「公平な上司」でも「理不尽な上司」でもなく,すべて「自分の勝手な都合」が生み出した錯覚でしかない.
- 人生は不公平にできている.だから「努力は無駄で意味がない」のではなく,だからこそ,与えられた「公平ではない環境」の下で,努力することに意味がある.
- そして努力の成否は「他人と比べて結果が良かったかどうか」ではなく,比較対象は,「努力しなかった自分」である.
第5部 「見えている人と見えていない人」の非対称性
決定的な非対称性
- 「見えていない人」は最強.「根拠のない自信」を持っており,「自分に見えている世界」が世界の中心であり,すべてそれが「正しい」という信念にゆるぎがない.
- 真の意味での議論が成り立つのは,「見えている人と見えている人」の間だけ.
- それ以外の議論はそもそも議論にすらなっていないので,やるだけ時間の無駄.
「経験則」という幻想
- それだけを見て,どちらが良いとか悪いとかの議論をするのはまったく意味がない.
- 「それはどういう場合だったのか?」の場合分けを明確にした上で議論をはじめることが非常に重要.
- むしろ議論すべき論点は,「どちらが正しいか」ではなく,「どういう状況だったのか」「どういう相手だったのか」のほう.
- 聞く側が留意して,メッセージを鵜呑みにせずに「どういう場合にその成功要因が当てはまるのか」を十分に見極めていく必要がある.
「啓蒙」という幻想
- 「やる気を出させる」「自発的に学ばせる」「重要性を理解させる」といった純粋に能動的な意識に関しての「気づき」は常に内発的なもので,外側からいくら大騒ぎしても決して扉を開けることはできない.
- 外に人にできることは,中の人に「外は楽しそうだからちょっと見てみよう」と思わせること.
- 外側から岩戸に手をかけた瞬間から,それはすべて「無理」に変わる.